2026年4月10日金曜日

ざまぁ〜みろ〜

 

どうしても 脳裏によみがえって来る事柄が ある・・。 忘れよう...忘れた方がいい...と思いつつも なお鮮明になる記憶。 
自分の母親に 初めての妊娠した事を告げた時に・・ もろ手を挙げて 喜んでくれて・・ 祝いの言葉を貰えるのだ・・と信じていた私に 「下のだらしない子だね~!」が 
開口一番。 続けて・・「貧乏人の子沢山みたいに ボロボロ産むんじゃ~ないよ」 と続いた。

結婚していても 最初の妊娠でも 恥ずべき事であり・・ 私なんか子供を産む資格なんてないのだという事を思い知らされた

つわりで自分の体重が38kgになっていた 妊娠六か月・・。 悪阻で料理もせず家事一切もできず・・飲まず食わずの毎日・・トイレで緑の胆汁しかでない嗚咽。それしか能のない私を 置き去りにして 実家へ帰ってしまった夫。 床にへばりついたまま・・このまま死ぬのかなぁ~ と 何日経ったかもわからない状態・・そんな私の所へ 久しぶりに戻って来た夫は 真っ暗な部屋で寝ていた私に向かって 「電気もつけず何をしてる! 起きろ!」 と怒鳴った。 

そして 「起き上がって 布団を上げろ!」 と怒鳴った。 全く持って力の出ない私は 体を 転がす様にして ようやく布団から出た。 その布団を畳もうとしても どうしても どうがんばっても 布団にへばりつくしか能はなかった・・。

「つわりは 妻を甘やかすからだ! もっと 厳しくしろ」と看護婦である夫の母親は言ったのだそうな・・。

今でも あの 布団にへばりついている私に向かって それを 押し入れに入れろと怒鳴っていた夫の声を鮮明に思い出す。 

そして 私は 押し入れに向かって 到底自分の体さえあげられないのに・・そのへばりついた布団を 押し入れに向かって どうにかせねば・・ と思っていたあの瞬間を今でもはっきりと思い出す。

反抗する・・と言う気持ちとかは 一切なかった・・。 ただただ・・ 頑張らねば! 布団を押し入れに入れねば・・言われた事は 実行しなければ・・と言う気持ちしかなかった・・。 なぜだろう・・。 夫の言う事は 私にとっては 絶対だった・・。 

その後 病院に着いた時 数人の看護婦が バタバタと騒がしく私への治療を始めた。 お腹の子の心音も聞こえない・・と しきりに看護婦達が言っていた・・。 入院となってから 毎日医者は お腹の子を下ろした方が せめて私の命は助かると 私を説得した・・。 でも 私は子供が死ぬ時は私も一緒に死ぬという気持ちだけであの時は生きていた様に思う・・・。 その子は 生き残った。 そして 生まれてきたのだ。 

私は生まれてから一年間は寝床から離れるのが 辛かった・・ あの頃 口中大きな口内炎がびっしりできた・・。 ひどい湿疹にさいなまれた・・。 歯がボロボロになり・・ 歯医者に 「あんた 何人子供産んだんだ!?」 とビックリされた。それでも 一日12時間労働で 100円にしか ならない内職も毎日続けて 腱鞘炎になり・・ガングリオンとか言うのもこしらえた・・・。 

私が夫に離婚を切り出した時、夫は 私と結婚する寸前に 夫の前の婚約者との結婚を破棄した事を話し出した。

その婚約者との結婚式場 参列者 全てキャンセル。 婚約者とのお腹の子供 つまり夫の子供が妊娠6ヶ月だったのも 殺した。

その後彼女の体はどうなったのか? と言う私の問に夫は ''知らない'' と答えた。 ''気にならないの?'' の私の問に ''ならない'' の返答。


今はもう 私に残された時間は そう長くは無い・・。 こんな事回想してなんになる・・。 と思うが・・あれがあったから ニュージーランドくんだりまでやってきて 120床もある宿をこしらえ 訳のわからない“怒り”から来るエネルギーがすべてで・・戦ってこれたのかもしれない・・。 

たっぷり時間のある今 愛車に乗り・・ カーステレオの音量を上げ・・ ニュージーランドの遠くまで続く直線道路を突っ走る時・・ “ざまぁ~見ろ~!!” と 心の中で叫びつつ スピードを上げる・・。

自分は何に向かって “ざまぁ~見ろ”なんだろう・・? と ツラツラ思っていた・・。 最近 なんか 少し その意味が解って来たようにも思う。


0 件のコメント:

コメントを投稿