2026年4月30日木曜日

色んな歓迎 和気

以前は岡山市迄だったら チャチャッと 車で出かけたけど もう 電車で行くようになった。 老人になったなぁ〜 と思う。
電車なんて ニュージーランドには全くないので 揺れながらの 旅は なんとなく 楽しいのだ。
たった 30分の旅だけど 岡山駅からは 始発で必ず座れるし....
最近は 堂々と優先席に突進するし....

先日は 岡山からの帰り 夕方になってしまって...
窓の外から見える空全体が うろこ雲。
あそこまで 空全体 隅から隅までの迫力あるうろこ雲を見たのは 生まれて初めてかもしれない。

長年生きて来たけど まだまだ 見たことないものに遭遇できるのは 幸せな事だ〜。

先日 友人達が 我が家に来てくれて お花まで貰って...。
日本に戻って来て 歓迎してくれる友人達がいるというのは 本当に嬉しい。

台所の窓を開けようとしたら 目の前のガラスに コイツが張り付いていた。
ぎょ〜!! っとしたが 窓ガラスの戸を 動かしたら
 ヒョロ ヒョロ!  っと素早動きで 消えてしまった。

まぁ〜 色んな もんが 私を歓迎してくれる 和気の田舎 なのだ!


 

2026年4月25日土曜日

ムカデの瞬殺

日本の自宅で 歓迎してくれた でっかい ムカデ。
ひぇ〜 ビックリしたァ〜!
慣れりゃ〜 大したことないのに....
又 慣れるのにしばらく 時間がかかるのかも。

瞬殺 マイナス85度で!!
知らないと 普通の殺虫剤とかスプレーしても なんの効き目ない。
トングで掴もうとしても コイツら 素早い素早い!
そして暴れ方半端ない!

しかぁ〜し! マイナス85度の瞬殺は 恐ろしい程 効き目ある。
苦しまないで死ねるので 私もこれ方式で死ねればいいかも?

しかし この スプレー発明した人 偉い!!

 

幸せの時

東京から 大荷物を引っさげて やっとこさ〜 和気に到着。
友人達が 出迎えてくれる....

駅に降り立つと 車が回され....
そのまま 友人宅へ 拉致され....

私の 長い間 夢にまで見た 食いもんが まるで ここは何処?
夢じゃ〜 ないよね.....
と 思ってしまう程 盛り沢山の料理。

疲れて到着したのに もぉ〜 幸せで.....

南米で 美味くないもんだけの生活から比べると 天国と地獄と言っても過言ではない。

あぁ〜 こんな 幸せも あるんだぁ〜 と酔いしれた 時間だった。

2026年4月15日水曜日

田舎暮らし

ロジャーは 最近 田舎の土地に行くと 何日も帰って来ない。一人で黙々と働いて楽しんでいるらしい。

最後の数日私がJOINした。

火を焚くと それを見つめつつ....
"火って 焚いてるだけで 寂しくないよね''とロジャーは言う。

なんか 火が友達の様なんだと...
確かに!
昔から日本では ''火は生きてる''と言われているのも 頷ける。

ボンボン燃やして 日暮れから冷たい空気が漂い始めても 暖かい火の温もりは 心をも温めてくれる。

バラの木の根っこらヘンに 植えてもいないじゃがいもが大量に出来る。 昔そこら辺が 以前この土地に住んでた人のじゃがいも畑だった様だ。

ロジャーが丹精込めて植えるじゃがいもより立派なじゃがいもが 大量に出てくるのだ。

それをアルミで包んで 火に放り込んでおくと 新じゃがの香りブンブン そして湯気も立ち上るホクホクのじゃがいもが食える。

火の前に腰を下ろして 腹がくちくなるほどそのじゃがいもを二人で食い続ける。

凄く贅沢だね...とロジャーが言う。

朝 目が覚めると 外がオレンジ色に染まってる。
ビックリする程の冷気で縮み上がる。
でも朝日は暖かい。

向こう側に永遠に連なる ニュージーランドサウザン.アルプスには 真っ白に雪が降っている。

作業に使う私の手袋。
私の手は中に入ってないのに なんか 入ってるようだ。

クライストチャーチ大地震で取り壊した家の中にあったキッチンユニットを一部引っ張り出して 私の小屋に設置。
周りの棚は全部廃材で私の手作り。
私は 廃材利用が凄く得意なのだ。
ロジャーは コーヒー豆を挽いて ドリップコーヒーを作っている。
田舎の小屋は 都会のカフェの香りブンブンなのだ。

作業中に発見した鳥の巣と 鳥の羽。
我らのダイニングテーブルのど真ん中にいつも 座っているのだ。

 

2026年4月10日金曜日

ざまぁ〜みろ〜

 

どうしても 脳裏によみがえって来る事柄が ある・・。 忘れよう...忘れた方がいい...と思いつつも なお鮮明になる記憶。 
自分の母親に 初めての妊娠した事を告げた時に・・ もろ手を挙げて 喜んでくれて・・ 祝いの言葉を貰えるのだ・・と信じていた私に 「下のだらしない子だね~!」が 
開口一番。 続けて・・「貧乏人の子沢山みたいに ボロボロ産むんじゃ~ないよ」 と続いた。

結婚していても 最初の妊娠でも 恥ずべき事であり・・ 私なんか子供を産む資格なんてないのだという事を思い知らされた

つわりで自分の体重が38kgになっていた 妊娠六か月・・。 悪阻で料理もせず家事一切もできず・・飲まず食わずの毎日・・トイレで緑の胆汁しかでない嗚咽。それしか能のない私を 置き去りにして 実家へ帰ってしまった夫。 床にへばりついたまま・・このまま死ぬのかなぁ~ と 何日経ったかもわからない状態・・そんな私の所へ 久しぶりに戻って来た夫は 真っ暗な部屋で寝ていた私に向かって 「電気もつけず何をしてる! 起きろ!」 と怒鳴った。 

そして 「起き上がって 布団を上げろ!」 と怒鳴った。 全く持って力の出ない私は 体を 転がす様にして ようやく布団から出た。 その布団を畳もうとしても どうしても どうがんばっても 布団にへばりつくしか能はなかった・・。

「つわりは 妻を甘やかすからだ! もっと 厳しくしろ」と看護婦である夫の母親は言ったのだそうな・・。

今でも あの 布団にへばりついている私に向かって それを 押し入れに入れろと怒鳴っていた夫の声を鮮明に思い出す。 

そして 私は 押し入れに向かって 到底自分の体さえあげられないのに・・そのへばりついた布団を 押し入れに向かって どうにかせねば・・ と思っていたあの瞬間を今でもはっきりと思い出す。

反抗する・・と言う気持ちとかは 一切なかった・・。 ただただ・・ 頑張らねば! 布団を押し入れに入れねば・・言われた事は 実行しなければ・・と言う気持ちしかなかった・・。 なぜだろう・・。 夫の言う事は 私にとっては 絶対だった・・。 

その後 病院に着いた時 数人の看護婦が バタバタと騒がしく私への治療を始めた。 お腹の子の心音も聞こえない・・と しきりに看護婦達が言っていた・・。 入院となってから 毎日医者は お腹の子を下ろした方が せめて私の命は助かると 私を説得した・・。 でも 私は子供が死ぬ時は私も一緒に死ぬという気持ちだけであの時は生きていた様に思う・・・。 その子は 生き残った。 そして 生まれてきたのだ。 

私は生まれてから一年間は寝床から離れるのが 辛かった・・ あの頃 口中大きな口内炎がびっしりできた・・。 ひどい湿疹にさいなまれた・・。 歯がボロボロになり・・ 歯医者に 「あんた 何人子供産んだんだ!?」 とビックリされた。それでも 一日12時間労働で 100円にしか ならない内職も毎日続けて 腱鞘炎になり・・ガングリオンとか言うのもこしらえた・・・。 

私が夫に離婚を切り出した時、夫は 私と結婚する寸前に 夫の前の婚約者との結婚を破棄した事を話し出した。

その婚約者との結婚式場 参列者 全てキャンセル。 婚約者とのお腹の子供 つまり夫の子供が妊娠6ヶ月だったのも 殺した。

その後彼女の体はどうなったのか? と言う私の問に夫は ''知らない'' と答えた。 ''気にならないの?'' の私の問に ''ならない'' の返答。


今はもう 私に残された時間は そう長くは無い・・。 こんな事回想してなんになる・・。 と思うが・・あれがあったから ニュージーランドくんだりまでやってきて 120床もある宿をこしらえ 訳のわからない“怒り”から来るエネルギーがすべてで・・戦ってこれたのかもしれない・・。 

たっぷり時間のある今 愛車に乗り・・ カーステレオの音量を上げ・・ ニュージーランドの遠くまで続く直線道路を突っ走る時・・ “ざまぁ~見ろ~!!” と 心の中で叫びつつ スピードを上げる・・。

自分は何に向かって “ざまぁ~見ろ”なんだろう・・? と ツラツラ思っていた・・。 最近 なんか 少し その意味が解って来たようにも思う。


2026年4月2日木曜日

秋の陽の釣瓶落とし

"秋の陽の釣瓶落とし''
田舎で 黙々と働く... なんか 肌寒い...と 思っていたら あっという間に 辺りが暗くて 見えなくなった。
慌てて 小屋に戻ると もう すっかり夜。
早!!
大きな月が 低い所で輝いていた.....