2024年4月28日日曜日

大阪のミロンガ

今日は大阪で デカイミロンガ

大阪中央公会堂 と言うところで立派な建物だった。

ルパン ようこさん シュガーさん達がいてくれて 楽しかった。


ようこさんの靴を履く姿。 セクシーで 何とも美しいのだ。


 




2024年4月27日土曜日

又もや一期一会

アイルランド人の父と日本人母のハーフ。日本語 英語どっちも同じぐらいおっけー。
ミュージシャン。やかましいロックも静かなジャズっぽい音楽も好き。
バンドを組んでて ギターもやればドラムもやる。三味線だってやる。
相当広範囲になんでもこなす奴。
彼の夢は閑静な家を得てそこで琴を引くこと。
と多才な奴なのだ。


佐賀に二人 のりこっていう名前の 叔母さん と親戚の人がいる。
よって 私をのりちゃんと呼んでくれる。
大阪のバッパでの 一期一会。

 

街を歩けば

ハンコ屋さん

日本一の水道局 岡山

 

春爛漫

久しぶりに晴れ渡った日。
和気町では 藤祭りが始まりました。
日本一の藤との事で 小さな和気町では 一番の自慢です。

春の日差しは眩しく そよ風は美味しい。
時折 ウグイスのなく声が 緑の木々の間から響いて来るし。

椿の花はおしまいに向かって 真っ赤な絨毯を作っている。

ここも あそこも どこも かしこも 春うらら。

 

手作りよもぎ餅

春うららの田んぼのあぜ道を ふと見ると よもぎの若葉が沢山吹いている。
妹とせっせと摘む。

妹が 家に戻って早速 ヨモギの苦み出しをしたり
もち米を蒸かしたり....
まるで 昔のばっちゃんの如くせっせと働く。

柔らかいヨモギ餅の出来上がり。




 蒸かした もち米を 苦味を抜いたヨモギと混ぜて ちっこいすりこぎで突く。

妹とロジャーの 頑張りで なんと 凄く 美味しい 立派な餅が!!

中にあんこを入れて 丸めた。

美味!!  1個では満足せず 2個 3個 といけてしまう 美味しさ。

2024年4月19日金曜日

日本の春

いつもの様に 長い 長い フライトで 体じゅうが うんざりする程 重苦しくなる。

やっと やっと この拷問の様な 小さい椅子から解放されると 思いつつ 毛布なんぞ畳む頃 この 朝焼けが見えてくる。

これを見る度に 新しい朝に感謝する。

日本は春。 爽やかな風。ポカポカの太陽。
我が家のリノベーションも終わり 立派な家になっていた。

 

2024年4月14日日曜日

タンゴ界のいけ好かない輩

最近 タンゴの ミロンガに行くと 人がいない・・。 なんでだぁ~? と思っていたら オークランドで オセアニア最大の タンゴの競技が開催されていたのだ。 クライストチャーチからも けっこう上手い人達は 全員と言っていい程 オークランドへと消えていた。

まぁ~ 閑散とした所で踊るのもいいかな・・・? と思いきや 踊りたい人が一人も居ない・・。

で 又 昨日の日曜日は 定例のミロンガ。 そこで 競技の大会も終了して 早速 オークランドから戻って来た友人がいた。 

大会どうだった? と 彼女に訊く。 彼女は競技に参加した訳ではない。 ほとんどの人たちは ドームの様な天井の高い 素晴らしい会場で 優雅な 舞踏会が連日開催されるのに 参加する為に 集まっているのだ。

さて 何がいいたいのか? と言うと さぞや そんなにデカイ大会であれば もう20年以上もタンゴの世界にいる 友人の彼女は 人気で 凄いダンサーと 沢山踊ったと思いきや・・。

そうではない・・・と言う。 なぜに? 彼女は続ける・・ 知り合いや 顔見知り・・そんな輩は 沢山いた・・。 多分 ほとんどの人を彼女は知っていたかも知れない・・。 

でも 今回は ほとんどの人とは かかわり合いがなかった・・ましてや 目も合わさないし ニコりともしない・・ そんな人が ほとんどだった・・と彼女は言う。

それで 私がビックリしたのは・・ そんな目に合うのは 私だけだと何年も思っていた。 あの時 あんなに 親しげにお喋りをして ハグをして そして 踊って・・。

だが・・ 超豪華ミロンガになると・・ 上手いと言われている人 結構 顔が知れている輩は ガッチリ! と 防衛線を張り巡らして 間違っても 私とは 目は合わさないのだ。

そう言う輩は 自分より もっと上の人達との交流、 つまり上級ダンスを得るのに必死!私のタンゴは 下の下 レベルだから 上のレベルの人が目を合わさないのは 解る。

が! 私のその友人は 結構上の方の連中といつも群れてる人なので そんな事があろうはずがない・・! と思っていた。

やはり オセアニアで一番デカイ大会だから みんないかに 上級クラスの人間にお近づきになって 踊るチャンスを得ようと しているのは確かの様だ・・・。

だから そうゆう輩は 雑魚には用はねぇ~的態度になってしまうのだ。

反面 それが 小さいミロンガで ローカルでの踊り・・つまり 踊る相手がほとんど居ない時は ・・ ちょっとでも 顔見知りだと 大袈裟に近づき ハグをしてキスの挨拶をして 踊るのだ。

手のひらを返した様な態度に出られると 仰天してしまう・・。てめぇらの 根性 腐ってんのか~!!? って 思ってしまう。

ここ ニュージーランドの中で そう言う根性の腐っている輩の名前は私の脳みそには きっちりと刻み込まれている。

もし そう言う輩が 小さいミロンガ で 私に近づき ハグしてキスして・・ 踊りに誘っても・・

"あら~ あなたの様な上級クラスの人と踊れて光栄ですわ~" なんて思って 踊ろうとは決してしないのだ。 そして ・・・  "ケッ!!" って態度で跳ね返す 私・・。

 私がタンゴを始めたばかりの頃に ニュージーランドじゅうのミロンガに盛んに参加していた・・結果 下の下のレベルとして 私の顔にはレッテルが貼られてしまっている。

ま~ 今でも それは そう変わってはいないにしても・・。 あの頃 小さいミロンガで 親しげに誘ってくれた人が デカイ豪華なミロンガになると 別人の様に私の事には 鼻も引っ掛けたい態度に出たのを見てビックリした。

こっちが 笑顔を送っても 見て見ぬ振りさえする。

そんな経験を うんざりするほど経て・・ 今は ちょっとは 賢くなった私。 つまり デカイ大会には参加しないと言う事だ。 雑魚はすっこんでろ的に扱われるのが 解っているからだ・・。

で 思った・・。

私は なぜに ブエノスアイレスで 別人になれたのか? 私の行動は ニュージーランドとは  全く違った動きをした。 

つまり 私は 雑魚のレッテルはないのだから・・ 派手に動き 次から 次へと 踊る相手をハントして 休む暇なそ無いくらい 色んな人と踊った。

レッテルの無い 真っ白な自分だから 完全に違う自分を演じた結果 それが成功したのだ。

ったく・・タンゴの連中は いけ好かない奴が かなりいる世界なのだ・・。

2024年4月11日木曜日

秋の収穫

毎年 毎年 膨大な数の胡桃が 裏庭で採れる。
地面に落ちた胡桃を拾うのに 腰が痛い。
地面に這いつくばって オタオタしながら拾う。
ほんの数年前までは 身軽に拾ったのに...。

これで チョコレートをタンマリ入れて 勿論 胡桃も 入れ過ぎだろうと言うほど 入れて クッキーを作った。
胡桃を入れすぎて 生地が まとまらないのを 無理やり くっつけて クッキーを焼いた。

大判のクッキーを 40個ぐらい焼いたが あっと無くなった。

そして 胡桃味噌も作った。 これも 美味! 人参 キュウリに付けて食べると ボリボリと永遠に食える。 お茶漬けに入れると 立派な食事になる。 
クラッカーやチーズにも合う。

沢山の人に おすそ分け。 みんながすごく喜んでくれた。
私も 充実感いっぱいで すごく嬉しい。

リンゴが庭に わんや わんや となっている。 もう バケツ 4杯分くらい とったが・・ まだまだ うんざりするほどあるのだ。
これも 毎年 毎年 私を襲って来る。 最初の頃は ドライリンゴにして 配ったり・・ 甘く煮て冷凍庫で保存したり・・ジャム、 アップルパイ、等無数に作った。
 もちろん! 大きなバスケットで何杯も 何杯も タンゴパーティーに 持って行って みんなに配ったり・・。

だけど・・ もう ハシゴに登って 収穫するのが 面倒・・。
それを きれいにして 保存するべく 乾燥させたり 調理したりするのも しんどい・・。 
散々やったら・・もう 見るだけで うんざりするー。

ほとんどが地面に落ちて 朽ちるのを 見て見ぬふりをするしか無い・・。

ものすごく甘い!! 蜜が 真ん中に入っている・・。


でっかいオーブンに ギリギリ入るくらいの 入れ物で 焼いた Appleケーキ。
切って セロハンで包んだ。
ここまでやれば みんな 喜んで貰ってくれる。
だが・・ ここまで 加工するのが 面倒・・。
今年は リンゴとの戦いは これまで・・。

後は 地面で 朽ちてくれ・・・。 

 

2024年4月5日金曜日

Andy

突っ走って来た 私の人生。
今 やっと立ち止まる。
そして 辺りを見回す。
そして ぼんやりすると 過去が 頭を巡る。
前の夫が 私の事を詩にしていた。
この存在は知っていたが じっくり読んだ事は無かった。
立ち止まった 今 読み返すと
じわじわと 彼の暖かい心が 今の私の心を温めてくれる....。

 

2024年4月4日木曜日

引きこもりと自分

  引きこもり ドキュメンタリー

⬆をクリックすると 動画に飛びます。

この動画は 以前見た事がある・・。 と言うか 引きこもりには なんか 同調できる所がありすぎて 見る度に 身につまされる・・。

ほんの少し間違えば 私も いつでもそうなってたかも・・? と思う・・。私の場合 多分親と一緒にいたくなかったから 家を飛び出し・・ 国を飛び出し・・ 結果今の様になっただけで・・。

もし 家に引き篭もれるのであれば 引き篭もっていたかも知れない・・。

脳が足りない・・ だらしない・・ 下が緩い・・性格悪い・・協調性が無い・・と 色んな事を親に言われ続けと 言うか 自分自身がそれに洗脳され・・ 自分でも そう思うようになる。  事実 私も そう信じて疑わなかった・・。

自分がこの世に居ること自体が 間違いであって・・ この世に存在するべきではない・・と ずっと思い続けていた。 

何をするにも自信なんか 微塵もなかった・・。 

てんかんの兄がいるって事は 世間から言えば そんな家族のいる女を嫁にする人は居ない。 一生 結婚は出来ないと思え・・ と 私が中学時代くらいから洗脳された・・。

25歳くらいになった時・・結婚しようと言う人が現れて 私が一番先に相手に言ったのは 「私はてんかん持ちの家族がいるのだよ」だった・・。 それでもいいと 言われた時は 相手にしがみついた・・。 本当にいいのだろうか?

現に両親は 今すぐ籍を入れろ! 相手の気が変わる前に・・結婚式なんかどうでもいい・・。 と言う物で 私も焦った・・。 そして すぐ私が妊娠したら・・ 「下のゆるいやつだ」 「頼むから ゴロゴロと子沢山にはするなよ! 恥知らずが・・」といわれた。

本当に 妊娠なんてするのは 恥知らずと自分でも信じ込んだ。 

妊娠してからの悪阻が酷くて 体重が 50kあったのが 38kgまで落ちた・・。 夫は夫の世話も出来ない妻には用事がない・・と言うことで 実家に戻ってしまった。

故に 私は 飲まず食わずで 何日もすごした結果 38kの体重になってしまったのだ。 しかし 夫が実家から 戻ってきて 最初に私に言ったのは 真っ暗で電気もつけず バカか!

そして 起きて 布団をあげろ! と 私を蹴らんばかりに命令した。 実家の母親から 悪阻は夫が妻を甘やかす証拠だ・・と言われた・・と言っていた・・。

それでも 私は 畳の上を転げる様にして 布団にしがみつきながら 布団をたたもうとのたうち回ったのを 覚えている。

が・・とうてい その布団を押し入れに入れる力等・・微塵も残っていなかった・・。 今を思えば あれは 私の死の直前で 地獄だったのだ・・。

すぐ 入院になったら 子供の心音は聞こえないと言われ・・ 点滴で 私の命を取り戻したのだ。 入院中 毎日 医者に このままでは 子供はもちろん 母体もダメになって 両方とも死ぬ・・ だから せめて 子供だけでも 出せ・・と 言われ続けた。

仰向けに寝たまま・・ 常に 涙が ダラダラと流れ・・ 首を横に振るだけが 私の唯一の生きてる証拠の様に思えた。 子供が死ぬ時は 私も死ぬ時・・と思っていたからだ・・。

辛うじて 持ちこたえ 出産した。出産して すぐから ピルを飲み始めた・・。妊娠は恥で・・妊娠で 私は また 死ぬかも知れない・・ 自分一人で 誰のサポートも無く 妊娠なんてしていられない・・。 その一念で 決して 決して 妊娠なぞ してはならないのだと思い ピルに頼った。

 なので 母乳は出なくなった。 その時は そんな事はどうでもいい・・と思っていた。 が 後で 子供の体の弱いのは 母乳を飲ませなかった 私が悪かったのだ・・と 自責の念に悩んだ・・。

それでも もう どんな事があろうとも 子供と自分の命だけは 私一人でどうにかせねば・・ と今まで 突っ走ってきたのかも知れない。 子供がいたから 私は生きて来たのだろう・・。

どうにもこうにも 夫婦でいるのが 辛く・・離婚を夫に願い出て・・別れた。 親は いの一番に 「ホラ やっぱり お前は捨てられた・・。」と言われた。それまでも 何回も 親から言われ続けたのは 私の夫にたいする言動は 「お前は その内夫に捨てられるよ」だった。

自分が70歳になり・・ビジネスを辞め・・ 自分と言う物にまともに向き合う事が出来るようになった今・・ 毎日が 自分探し・・の作業をしているようで仕方が無い・・。

今までは 自分に向き合った事なぞ 一切なかった・・。 自分がだれなのか? 何がしたいのか? どうすることが 自分は好きなのか? きらいなのか? そんな基本的な事を一切知らずに 突っ走って来た。

ビジネスを辞め・・ 子供も 私を全くもって 不要になった。 そして 今・・ 自分は誰なのか? 生きてていいのだろうか? 何もしなければならない事も無い・・。 何をしたいのか? と 自分に問うても 絶対これをしたい・・と言う事は無い。

しなければ しないでも いい・・。 生きていてもいいし・・なんなら 死ぬのも悪くないかも・・? どっちでもいい・・。 つまり 自分と言う物が よくわからないのだ・・。

引きこもりの人たちの気持ちが 痛いほど分かる。 外に出ていって・・・社会の中に入る事程 辛い・・難しい物は無い。 私は 戦って・・戦って・・やっと生きて来たけれど・・あんな事は もう二度としたくない・・と思うし・・ 疲れた・・。

精魂尽き果てた・・。引きこもりの人が 社会からはじき出されて・・また そこに戻ろうなんて言う エネルギーなんかあるはずが無い。

かと言って 特別 生きていかなければならない理由なんてないのだし・・。 頑張って生きる意味もないのだし・・。 

引きこもりの人たちが 社会に頼って 生き残りたいと思わないのも ものすごくよく分かる。 世間と言う物は 特に私を必要とはしていないのだから・・ 頼ると言うだけで恥なのだから・・。

私も 親から 「お前は 存在だけで恥なのだ」と 洗脳され続けて来たのだから 世間に頼ろうと言う気持ちが出るはずが無い・・。

引きこもりの人たちが ゴミ屋敷の中で 餓死した気持ちが痛いほどよく分かる・・・。