2024年5月21日火曜日

心と形

 心と形があって 人間は 心と形で行動がなされていると思う。


心がこもって 自然に形として現れる・・ と いうのと 形から入って 形を整えて 習慣化すると そこには 自然に心がこもって来る・・ と言う二通りあると思う。


子供の躾と言うのは 後者で 習慣化させる事によって 自然に心が そこにこもって来る と言うのを 狙っていると思う。が! それも 後に必ず そこに心がこもるかどうか? と言うのは 又 別問題だと思う。


そして 大人になってからちゃんと 心と言う物も付かず  形を取ってつけると そこには違和感しかない・・・。


だが 形を完全に無視すると 大人としては 礼儀の無い人間として それは また 軽蔑視される。


心と形が 完全に比例して 一致していれば 問題はないのだが・・ ややもすると 形だけで そこには 心が着いてって いなかったり・・ 心はあるのだけれど・・形として見えないので これも又 外見とは 一致せず 無礼な奴として誤解が生じる。


はてさて・・ 何を言いたいか? と言うと・・ 形も 心も 歳を取ってくると もぉ~~ 完全にどぉ~!! でも いいのではないか? と 思うようになって来た・・。


若い時は 社会全体を 人間が回しているのだから・・そこには 色んな決まり事があって それに沿っていかなければ 結構混乱する。


が! 歳を取ると もう 社会のお荷物になる事だけを 避ける・・と言うのが 老人の仕事であって 義務であると思う。 

つまり 人との関係も あまり問題無い。


タモリが 友人は不要・・と言ったと言うのを 聞いた事がある。 まさに! 然り! と 思わずにいられない。


歳を取ると 友人は必要でしょう! と 多くの人が言うが・・ 友人の定義とは・・? と言うのもあるし・・私は 面倒なのだ。


友人であろうが・・なかろうが・・ 知人であろうが なかろうが・・ 家族でそうが・・なかろうが・・何も関係ない。


つまり 一瞬 一瞬を 楽しくその場で過ごせば それでいいと思う。


自分のすぐ横の人と 楽しく出来れば それでいい・・。 寂しかったら その辺の人を捕まえて お喋りすればいい。


人は 案外寂しがり屋・・ 話しかければ だれでも すぐ 話し相手になってくれる。数分お喋りをして さようなら・・ と言えば それで その場は終わりなので・・ 面倒な事も一切ない。


面倒な人ってのも 結構この世には存在する。 心にゆとりの無い人が その面倒な人になると 思う。


どんなにお金持ちだろうと 社会的地位の高い人でも 心にゆとりの無い人って 猜疑心が強く・・形に囚われたりする。 よって  すぐ 蔑視 したり 敵視したり・・が生じる。


これでは 生きてて あまり楽しく無い・・。


どんなに 礼儀がなくとも・・ バカっぽかろうと・・ とりあえず人の心さえ 傷つけなければ その場を 楽しく過ごした方が 生きてて 心地がいい。 全ては それに尽きるのだと思う・・。そしてそれは 人が生きる道として最高峰だと思う。


"人の心を傷つけなければ" ここんとこが 一番の肝心・要の所だ。 "人の心を傷つけない" と言うのは 一番難しい所だろう。


人は みんな違う 価値観・哲学で 生きている。 なので 万人の心を傷つけないと言うのは まず 不可能だろう・・。


だけど 自分の既知を働かせて なるべく傷つけない様にすれば それで 十分だと思う。 それで 離れて行く人と 寄り添ってくれる人と 分かれる。


つまり 寄り添ってくれる人は 自分の価値観と合っているから 一緒にいて 心地良いから 身近に居てくれるのだろう。


こんな事を 多分 私は 12歳 13歳ぐらいの頃から モヤモヤと感じていた。


人を見た時 大人を見た時 その人の 心の奥底がよく見えた。 こいつは 形だけだな・・ つまり 体裁だけで そこに心は無い・・と言うのが見えるのだ。


これは 日本だけではなく 世界万国の人間に共通している。 よって 私は自分の心を 素直にすぐ開く事は まずなかった・・。 とりあえず 貝の様に 押し黙って・・ まるで この人は 喋らない人だな・・ とか 口数の少ない人だな・・ と思われる事が多い。


嘘でしょう! あんたは うるさいくらいお喋りと言われると それは 私は完全に心を開いでいる時なのだ。 ま~ それは だれでもそうかもしれないが・・。


はてさて・・ "月曜から夜更かし" と言うテレビ番組を YOUTUBEでよく見る。 私の大好きな番組で 何回観ても いつ観ても どれを観ても なんか楽しい。 心から笑える。 心から同調出来る。


あの番組を作っているスタッフは凄い!! と 絶賛してしまう。 なぜか・・? と つらつら考える。で 分かった事は・・


あの番組に登場する人達は 完全に素直なのだ・・。 形と言う物が無い。 つまり 体裁を作ろうとはしてない・・ 地で全てを行っている。 小気味のいいほど そこには体裁とか 媚びとかがないのだ。


それほど 清々しい物は無いと思う・・。


もう亡くなってしまっている友人が 新宿に自分の不動産鑑定の事務所を設けて 人を使ってバリバリ働いている時代があった。 


彼女は新宿御苑に住み着くホームレス達と車座に地べたに座って 酒(飲酒店の裏から飲み残しを集めて来た酒)を酌み交わしたとか・・。 

酒のツマミ(これもまた 飲食店の裏のゴミ箱から集めた物)も 相当豪華だったとか。

彼女は それが 一番楽しかった・・。 と 嬉々としてその話をしてくれた。


彼女は 長野に大きなペンションを所持し・・そこで 陶芸家としても活躍し・・ 彼女の人生は どっからみても 社会の頂点にいたかもしれない。


しかし 彼女はどっから観ても新宿御苑でのホームレス連中の中に混ざって残飯で酒を飲んでいても 違和感はなかったと思う。彼女は溶け込めるのだ。


そこには "形" (体裁)ってのが 無いからだと思う。


私は 彼女の後を追いつつ 彼女を理想の人として 自分の人生を歩んで来た様に思う。


彼女は膵臓癌で 癌が発覚してから一ヶ月も経たずに亡くなった。 その後 彼女の娘さん達が 以前彼女がニュージーランドで購入した家を見にやって来た。 


彼女の娘さん達は "母の死の受け入れは小気味のいいほど潔い物だった" と言っていた。 正に 彼女らしい! と 私は思わずにいられなかった・・。

自分が死ぬ時も そうありたいと願うが・・ ちょっとまねは出来そうも無い・・。


彼女がニュージーランドで買った家は 私がその家を見つけて・・私が買いたい!! と思い続けていたが・・ どうしても その家は 夢ではあったが 実用的ではなかった・・よって 買うのを断念して 彼女が買う事になった。


今は もう人手に渡ったその家は 私はその家の前を通る度に 彼女の家であって・・他人の家とは思えない・・。 その家は 彼女が住んでいた時と全く同じで 綺麗に手入れされた庭もまた 全く同じなのだ・・。



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