今日 何年ぶりかに いつも 宿経営をしていた時に使っていた 業者のプラマーに電話した。 久しぶりで喋って 自分でビックリしたのが 自分の英語が 相当スムーズで 大きな声で 自由自在に喋っていたのに気づいた。
引退して以来 全然 英語なんて使っていなかった。 パーティ等に出かけても 私はほとんど喋らない。 周りの人たちは 私が英語を話せないと思っている。 だんだん 私自身も英語はしゃべれないのかも? と 思うようになって来た。
ツラツラ 思うに 私は 英語は 社交的な部分で 使った事はなかったのだ。 ニュージーランドに来て以来 喋ると言えば 商売でしか喋ってない。
つまり 商売で使う英語だけ 私は喋れるのかも? あと 喧嘩をする時も 突然 雄弁になる。 だが 日本語では喧嘩は出来ない。 英語なら 何をどう言う風に言えばいいかを知り尽くしている。
そうなのだ・・ 私は ニュージーランドに35年も住んで 商売以外で 喋る事はまずなかった。 引退した 老後を過ごしている私は もう 喋る必要は全く無い生活をしている。
欧米人は 社交的な会話と言うのを大人になれば 誰だって身に付けている。 とりあえず 心にも無いことを永遠と喋り続ける事が出来る。 つまり社交辞令的なことだけを 何時間も喋って過ごすのだ。
そう言うのは私には どうしても 出来ないのだ。
夫が 「お前は 日本語ではしゃべり続ける事ができるんだから・・」 と言う・・。 でも 考えてみれば 私が 喋り続けられる日本語は 友人とであって 心から喋っているから 喋り続ける事ができるのだ。 心にも無いことを喋っている訳ではないのだ。
日本語だって 社交辞令的な心にも無いことをベラベラとは 一切喋れないのだ。
つまり 私は 心を開いて 喋る相手は ここニュージランドには いないのだろう。 だから いつも 貝の様に口を閉じている。
私は 商売か 喧嘩をしない限り英語は喋れない・・・。 なんか 寂しい・・・。
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