2024年1月26日金曜日

主張

 ネットで大谷選手の事で いかに日本人は素晴らしいか?! と言うのをやっていた。 つまり 日本人には 特殊な精神があって・・ だからこそ 世界に引けをとらない経済大国になったし・・ 世界の人が 驚く事をたくさん成し遂げて来た・・と言うことを切々にうたってた。

つまり 日本人は もう子供の頃から 社会の一員になって 社会の全ての貢献によって 自分が生かされ 大谷選手の様に成功をおさめる。

個人主義の欧米の人間からすると 一旦 大成功を修めると ほとんどの人は 転がり落ちる様に 落ち・・その成功を保つ事は困難と言う考えがある・・。

しかし 日本人にはそれはない。 つまり 成功を修めても それは 自分個人の力ではなく 子供の頃から習得された ‘‘社会全体の協力の元に自分はある”と言う精神で生きているので 成功に乗っかって おごり高ぶる事がない・・。 よって 成功に 限りがあるとは考えない・・と・・。

それは それで 立派だし そうだとも思う。

しかし それを 聞いてて・・私自身は ちょっと違うなぁ〜 と思った。 私は親から 完全に自分勝手人間  自分一人じゃ〜なんにも出来ないくせに・・ と 耳だこに言われ続けて育った。 

親から言われ続けた言葉 ‘‘そんなこっちゃ〜社会ではやってこれない” とも言われ続けて・・結局 死ぬ事を選んだ。 生きてるだけで 辛くて 辛くて・・。

そして あと一瞬後には 死ねると言う所まで 自分を追い込んで その一瞬手前で あと一日生きてみよう。 どんなに辛くても 自分は いつでも死ねるのだから・・・ と言う自信を得てしまった。 その自信だけでが今まで続いている。

いつでも死ねる自信とは こんなにも大きな事なのだろうか・・・? 自分でも 驚異的としか言いようがない。

それからだ・・社会と言っても この地球上には 色んな社会があるし・・。私は20歳になってすぐ 日本を飛び出し 結局 自分は日本以外の社会の人生になった。 日本社会では無理でも 日本以外の国ならやっていける ・・と言う確信を得た。

確かに日本と言う国は 優れた所も多々あるが・・ 日本社会でやっていけない人は 日本以外はどこでもいけると思う・・。 反対に日本以外でやっていけない人は 日本だけというのもあるかも?

って事は “日本社会は狭い!”としか言いようがない・・。

どんなに後進国でも 英語を話す人はけっこういる。 日本ほど 英語を話さない国は珍しいかも・・?英語を話さないのは愚かと言う意味ではない・・ 日本語で 十分であり 英語が不要だからと思う。 英語が話せなくても 全然不自由ではないのだ。日本にいる限り。だから 余計 日本語以外の言語が不要になるのかも知れない。

ここブエノスアイレスでは やはり大都会であっても 長い歴史の内に スペインに統治された国。 統治から這い上がる為にも 世界の共通語である英語は必至だったのかも知れない。

私が 南米でであった人達は全員 英語をマスターしたいと思っている。スペイン語が全然出来ない私は どうしても 英語で捲し立ててしまう。 相手は頑張って 英語を話そうとする・・もしくは 英語を話す人を見つけてくれる。 決して 見下す事はしない。

アジア人と言うだけで ここ南米は見下される・・と言うのも 中国人を奴隷として使っていた歴史もあり それが長かった・・。 アジア人をみると チーナ チーナ(China)と言って 子供や ティーンエイジャーどもににバカにされる。

だが! 英語で 捲し立てると そこは 完全に反転するのだ。 英語の力は絶大なのを 日々感じる。

他のビデオで キムタクの娘二人に 質問が来た。 その質問とは 「いつも 英語で話すのですか? それとも日本語で話すのですか?」 と言うもの・・。

二人の娘は 考え込む・・・ どっちかなぁ〜・・。といいつつ 普通日本語かな・・? でも 喧嘩は絶対英語! と二人の娘はいいきる!!

私も 同感!! 30年以上 世界中の客達とやりあって来た人生。 経営者として 問題勃発で 最終的には 私がではって行かなければならない。

そして 必ず そこは 修羅場と化す事が多い。 ま〜 ベストは 事を荒立てず 問題客に帰ってもらう様にすることではあるが・・。 

しかし それでも どんなに 丁寧に 親切に話しをするにしても 英語と言う言語には  大きな力があるのを感じる。ましてや迫力をもつく。 相手が英語を母国語とする人間でも 英語では言い方で 完全に相手がぐうの音もでない様に 押さえ込む言い回しと言うのがある。

日頃 訓練している私は それを すかさず使う。 

そして 相手がいくら 英語を理解できなくても 関係ない・・たとえ それが 日本人でも 関係ない 英語での言葉 が一番の威力を発揮するのを 身をもって学んだ。

つまり 英語は “主張‘‘の言語なんだなぁ〜 と思わずにいられない。 “主張” することによって 私は 死なずに人生を送ってこられたような気がする。

出る釘は打たれる とか 謙虚は美 と言うのでは 私は 絶対に生きてこれてない。 見下されて ごみ扱いされて 終わる。 よって 全ては “主張”のみ と私は思う。

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