2024年9月30日月曜日

いい加減

 いい加減と 言うのは 良い加減と言う意味ではなく ちゃんとして無い・・と言う意味で 普段は使っている。

が はた! と 機がついた・・・。 特に今日この頃・・体が 思うように動かない73歳、 もう 以前のようには 全く事が進まないのだ。

なんでも かんでも 猪突猛進で 生きて来た自分。 だが そんな事もう 出来ない・・ 猪突猛進でなくてもいい・・ 進みたい・・と思っても もう そうやってしか生きてこれてなかったから 突然 いい加減には できないし・・。

と言う事は ダメ・・ということで・・。 そこで オールオアナッシング つまり 出来るか出来ないか? で 全てを判断してしまう。

だが そこで ハタ! 気がついたのが "いい加減" でいいではないか?! そんなに完璧にとか 上手に・・とかは 望まずに・・ チャランポランでもいいではないか・・ 下手くそでもいいではないか・・ダサくてもいいではないか・・ と 言う境地に 最近到達している様な気がしてならない・・。

つまり "いい加減" とは チャランポランではなく "丁度良い 程度" と言う意味なのだ。 と言う事は なんでも ダメでも それが 丁度いいのだ・・! と言う事に気が着いたのだ。

そしたら なんだか 毎日の やる事 なす事が ダメでも 自分で自分を許せる・・というか・・そのいい加減である事が 丁度いい感じと言う所なのだ。

俄然! 気が楽になり・・じゃ~ これでもいいなら やってみるかな・・? これでもいいのなら・・けっこう楽しくやれるではないか! と言う事が 毎日の一瞬 一瞬に 感じられる様になってきた。

周りの中傷に どうしても 惑わされ 傷つき・・落ち込み・・ 嫌気がさす・・と言う 負の連鎖が "ま! いいか! いや これで いいのぢゃ!" と 自分に言える様になった・・。

すごく楽になった・・。

2024年9月29日日曜日

パーティーのお国がら

昨日は ポットラックパーティー
持ち寄りだと どえらく豪華な料理が ほとんどお金を使わなくても 堪能出来る。

パーティの時間帯ってのは そのお国ぶりがよく見えてくる。 ここ ニュージーランドでは 大体 30分ぐらい遅れて来るのが 普通ってか 礼儀かも知れない。 きっかり時間どおりに来る人は誰も居ない。

よって 招く側も ちゃんとそれを見こんで 受け入れ態勢を整える。 間違っても 丁度の時間に 客が到着すると アタフタする・・よって きっかりの時間に行くのは ちょっと失礼かも?

日本は パーティーであろうと キッカリに行くし 来て貰った方が 何かと 全てが スムーズに行くかも?

私が アメリカ大使館家族と一緒に住んでいた時 ディナーパーティーが行われた。 多分 日本人カップル3組招待されていた。  彼等は 欧米人慣れしてない様な感じで キッカリ時間に現れて・・ ディナーが始まった。

奥さんは 予め ベビーシッターの私に 食事のサービングを頼んでいたので 私も 緊張して 粗相の無いように頑張っていた・・。 その招かれた日本人カップルの一人の奥さんが フォークを床に落とした。 早速 私を呼びつけ 拾えと言う。

私が拾おうとすると アメリカ人の奥さんが 慌てて 立って来て そのフォークを拾おうとしたから その場が騒然となった・・。

と言うのも 若いそのアメリカ人奥さんは 臨月のお腹を抱えてのパーティーだったし・・みんなが 彼女にそんな事をさせては 大変!と大慌・・。

結局 ベビーシッターの私が まるで 高級レストランでのサーバーの人間扱いされたので アメリカ人奥さんと旦那さんが 大慌て。

そんな扱いをされては困る・・とばかりに・・ 私に 始まったばかりのディナーのサーブは もういいから・・・ 後は 全部 私達(アメリカ人夫婦)がするから・・と 言われて 私は奥にひっこんだ。

その後 彼らは 必死でみんなの ディナーのお皿の上げ膳据え膳を頑張った。 もう 穏やかな ディナーでは無くなってしまったのだ。

結果 招かれた 日本人の客たちは食事が終わったら夜9時頃に 早々に退散した。

そしたら またまた アメリカ人夫婦は 慌てて・・「のりこ 私等なんか 失礼な事しちゃったかしら・・?」 と訊く。 そんな事なかったよ・・心配すんなと 私は 彼らを慰めようとしたが・・ やっぱ お国が違うと そんな事はよくある。

隣のフランス人のパーティーなんか 夜8時頃さんさんごご集まってきて・・ ディナーが始まるのが 夜9時頃・・それから たっぷり2時間位食って 飲んで・・が続き・・ そのあと チーズボードやら ワインやら ダラダラ・・深夜過ぎまで 永遠に続く・・。

ニュージーランドは あまりディナーパーティーはしない・・。 大体 バーベキュウが多い。 が! そのバーベキュウが なんか 結局 ディナーパーティー形式になるのが なんと 日本人の私には納得が行かない・・。

というのも 男がビールを庭で飲みつつ 食べる肉を焼いている。

家の中ではちゃんと でっかい テーブルに テーブルセッティングがされてて・・ 色んな料理が置いてある。 つまり メインの肉とか魚を外で焼いて・・焼けたら テーブルに持ってくるってのが 形式。

そして ポットラックが普通かも知れない・・。 つまり色んな物を持ち寄る。 よって 事前に あんたはサラダ 私はデザート  そして だれか おつまみとか持ってきて~ と割り当てられる・・。

飲み物(酒るい)は 持参ってのが もう 暗黙の了解。

日本は家に招待とかしなくて みんなで どっかに食べに行くってのが 形なので・・ ホームパーティーってのは あまり存在していない・・。

でも 日本でも田舎は 家がデカイし・・スペースは沢山あるので 私は 日本でも ガンガン 人を招待して 日本式 バーベキュウを 目論んでいる。

2024年9月23日月曜日

CASA PUBLICA

ハープ形 ビールディスペンサーが 素敵!



2週間に一度 この バーレストランで タンゴ会。
なんか 雰囲気のある所で ダンスと言うより 居るだけで 気分がいい。 

 


2024年9月12日木曜日

パリッパリに乾燥したバスタオル

私は昔から 柔軟剤なんぞ 使った事も買った事も無い。 パリッパリに感想した バスタオルしか使った事が無い。

kiwhihouseの以前のお客さんで 今も 連絡を取り合ってる人が結構いる。 彼女もその一人。 彼女は ニュージーランドと日本を行き来して 生活していて・・ 

私が 岡山の家にいる時に その彼女が 足摺岬の実家に居るのを発見!

彼女の実家の話とか おばあちゃんの凄さとか・・色々話を 昔聞いていたので・・ これは 是非 いかねば!! の勢いで 出かけていった。

その時 彼女の家に泊まらせて貰った時に "パリッパリに乾燥したバスタオル" が 我が家のバスタオルなの・・。 と 言って出された。

私自身 パリッパリに乾燥したバスタオルでないとダメなので・・ 感動した。 そして それは 確実に お日様の香りを十分吸っているので・・ 顔に近づけたトタン! ブンブンと お日様の匂いが漂う。 もう! 幸せとは この事!! 

南米やら 東南アジアを何ヶ月も旅したが・・現地の洗濯屋に出すと その日の内に 2・3百円程度で 洗って 乾かして 畳んで 戻してくれる。

だが! 私は それが 耐えられないのだ・・。 まず 柔軟剤を使っているので なんか着古して 何ヶ月も洗ってない様な手触り・・・そして 安モンの頭が痛くなるような香りが付けてある。 この臭いを付けられた時は 完全にその臭いを消すべく 必死で 手で 洗い直した。

以来 絶対に 洗濯屋には 出さない事にしている。 南米では 手作りのシルクのワンピースが 洗濯物の中から 消えてた事があった。 

一々 一つ 一つをチェックして 預かる様な洗濯やでもなく・・・ 戻って来る時は それが 全部 ちゃんと戻って来る訳でも無いのが その手の洗濯や。

今時 パリッパリの お日様の香りのブンブンするバスタオルを使う人が 存在すると言うのを 知って・・ ニマニマしなから その友人の風呂に入ったのを 思い出す。

2024年9月11日水曜日

自分が愛おしい

 実を言うと 私ば 25年前に夫に誘われ タンゴにチャレンジしている。 訳も分からず 先生の言う通りのステップを 夫と二人で踏んでいた。 なので その習ったステップをそのまま 夫とやる・・だけが 一年続いた。

ある日 次の中級クラスにやって来た 女が 夫を捕まえて 踊ろう! と始めた。 が! そのトタン 女は 怒り出し・・ "あんた 全然リードして無いじゃん!" と 夫を突き放した。 夫は それ以来 タンゴを辞めた。

私も 訳も解らんまま 辞めた。

それから 約10年経って・・ アルゼンチンタンゴの映画を観た時に 私は "やりたい・・" と言う気持ちが つのって来た・・。 が ただの憧れで あって あんなモノは 夢の夢・・。

それから また 10年ぐらい後に 夢で終わらすのは 悔しい・・よって かじってみるだけでも 罪はあるまい・・と言う事で 今度は 違うクラスに行った。今度は 私一人で・・。

だが・・ またもや 挫折・・。 タンゴのクラスの後に 社交的に踊る時間が設けられる。 そこには もう 10年も 20年も踊っている人間が これみよがしに踊り・・ 私のような 初心者には 鼻もひっかけない。

じゃ~ って事で もう そのクラスに行くのは辞め・・ 1年間 毎週 個人レッスンを受けて 集中的戦略にでた。 その社交的踊りの場所に 行くのは かなり億劫だったが・・先生が レッスンだけ受けてても そう言う所で 多くの人と 踊らない限り うまくならないよ・・ としつこく押され・・やむなく 参加。

だが・・ やはり 上手ければ 踊って貰える・・と言う物ではない・・と言うのが タンゴ。人との関わり・・つまり社交場で 自分と言う人間が 認めて貰えない限り そこには入れないのだ。

それって 踊りと言うより 私の一番苦手とする分野なのだ。 パーティーと言う物は 大嫌いで 一切参加したくない・・。 無駄な事を永遠と 笑顔やら 笑いやら ハグだのキスだのを交えて 交流を深めて行く。 それが出来てない限り 踊ってくれる人は居ない。

西洋人と言うのは それが 子供の時から 身についているので 私のような 日本人間であっても 愛想笑いなんて 死んでも出来ない。 そんな私が社交の場に入れるハズが無い・・。

もう 完全に頭打ち。 やる気も失せて そこで タンゴには見切りをつけようと決意。

と・・その頃 クライストチャーチに現れてた 別の先生。 

我が家に住んでいた メキシコ人の男の子もタンゴをやる。 そいつがタンゴが超上手い。 って事で 私は彼と一緒だと タンゴの世界に入れる様になった。

そして そのメキシコ人はスペイン語で その新しくクライストチャーチにやって来た アルゼンチン人の先生と 大の仲良しになって・・ その先生を絶賛するではないか!

私は まぁ~ 一回試しにその先生の個人レッスンを受けてみよう・・と言う気になった。

あれから 2年。 私はその先生にハマった。 彼は タンゴの先生ではあるが・・ 私の心療内科の先生ではないか! と言う程 私のダンスを心理的な所で修正するやり方だった。

タンゴのレッスンの時間 一時間 まるまるお喋りで終わった事もしばしば・・。 彼は お喋りではお金を取る訳にいかない・・とは言ったが・・それは私にとっては ただのお喋りではなく 私と言う人間の心を取り戻すべき カウンセリングなのだ・・。

彼が一番先にしたのは 私と言う人間を知ることだった。 私と言う人間にこれ程 興味を持って くれた人は いなかった。 色々私の事を訊いてくれると言う事は 私にとって なんと 魅力的で心地のいい物だったことか!

私は 自分が生きる意味さえない・・と言う悲観的な考えで生きて来た。 いつ死んでも・・それはそれで 仕方の無いこと。 若い時なんか 生きてることすら罪なのでは・・と思える位 自分で自分を否定していた。

そして また その彼が 私の中に入って来た事は なぜ私は 私の宿のビジネスをそんなにデカくし成功させたのか? と訊いて来た。 その時 じっくり 自分でも 考えても見なかったことへの返答を探した。 先生はいつも 何があっても 私の返答を辛抱強く待ち・・そして その私の言う返答の 一言一言に耳をすませてくれた。

そして 私の口から出て来た言葉が・・ "復讐 私を見下した者への・・" と言うもの。

先生は それでいい・・ その怒りのエネルギーを 心の中に持て! と 言い続けてくれた。 それは 大成功だったと思う。 常に彼は "お前は出来る お前は エネルギーがあるのだから" と 言い・・ 私もそれを 伝手に ここまで来れたと思って居る。

そして それから2年後の今  また 私は ちょっと スランプに陥ってきた。 なんか "夢"に描いた タンゴには どうしても 近づけない・・。 と また 彼に伝える。

そして 彼が言う"洗練されたタンゴ" に これから 集中しよう! と言う。 お~! それだ~! と私は なんか 心踊る。

"怒りのエネルギーは いっぺん 横に置いとく・・。" 

洗練された動きにするには 

"自分の中にエネルギーを溜める"

"外に発散させない"(外に発散させる事で 洗練さは欠け醜くなる)

"溜めて 溜めて・・こもったエネルギーに自分の気を集中させる"

相当 抽象的で 訳が解らん・・ 先生との色んなディスカッションの末 

"気を100%自分に向ける" それだけなのだ。

相手がこうしたから こうせねば! とか 相手がリードして来たステップが来ても 焦って合わせようとするな! 完全に自分のペースで 自分のやり方で 自分のタイミングで 自分のしたいように体を動かせ。 とりあえず 自分を見失うな! と言う事なのだ。

そして・・思った・・。

ここ2年間 毎週毎週 私は彼から 個人レッスンを受けて来て・・その都度 学んだ事は それなのだ。 怒りのエネルギーを発散させるだけでは 解決にはなって無い・・。

最終的には 自分を肯定して 自分自身を見つけて・・自分の生きたい様に行かねば 生きている事にはならないのだ。

自分を見失って生きて来た人生・・そして 自分を否定し続けて来た人生。 それを 辛抱強く 私を違う方向に導いて来てくれた彼。

やっと 今 私は 自分が 愛しい・・と 思える様になった来た様な気がした。

そして タンゴが踊れる様になるのは タンゴレッスンではない。 それは 

'自己肯定" それなのだ。 それその物なのだ。

クライストチャーチの中で気後れして 全く踊れなかったのが・・ アルゼンチンのブエノスアイレスで 多くの社交場に出かけて行って・・ 自分の踊りたい男を漁り 見当を付けた男を必ず射止め 一晩中踊り明かす・・

と言うのが 出来るようになったのは もう "自己肯定" それ以外の何ものでも無い。 そして それは タンゴの世界だけではなく 私の生きる大きな力になっている。

2024年9月6日金曜日

割烹着は無敵

イギリスの超高級布 リバティー。
長い事温めて来たが 処分!

終活には物の処分が 殆どの仕事。
リバティーだろうがなんだろうが 温めて置くだけではただのゴミ。

捨てるには惜しい。
日頃でかい割烹着が欲しい! 
と思ってたので 布全部で ブカブカ割烹着を作成。

やっぱ日本の割烹着と言うものは 凄い!! 発明した人をあらためて尊敬。

デカイドラえもんポケットを前につけたら 何でもかんでも 入る。

スマホ持ち歩きつつ 朗読なんか聴きつつ 汗用タオルもツッコミ
袖はゴムだから炊事しごとでは腕まくり簡単!

油をはじく料理は完全に体と服を守ってくれる。

1番凄い!と思ったのは いつも胸の辺りに食べこぼしシミだらけだったのが 全部 この割烹着が 受けて立った!

全部の服をシミだらけにする前に よだれかけが必要な歳だ〜
とずっと思いつつ....
だが やっぱり...それは....
と抗っていた。

が!
もう よだれかけすら不要!
割烹着を絶賛する 今日この頃。