2025年6月29日日曜日

フィットネス

最近 寒い 雨 暗い で ベッドの中で ネットと ゲームで 時間を潰して居る。

寝たきり老人 まっしぐら。

いかん いかん....

やっぱ ヨガとか... youtubeで 見る... いや ピラティス かな....

いや なぁ〜んか つまらん Zumbaにしよう! 息が切れそうで 着いて行けん.... ゆっくりZumbaは つまらん....

やっぱ ストレッチだな.... これも なぁ〜んか ピンと 来ず。痩せたいんだし....

最後に ラジオ体操第一を ネットで流したら 

やっぱ これだな! と結論。子供の頃からの洗脳は 恐ろしい.... 

2025年6月27日金曜日

フォーク事件

 私が20才代初めの頃 東京のアメリカ大使館で働いている人の家庭に住み込んで ベビーシッターをしていた。

そこの奥さんは 若く とても気さくで 私を完全に家族の一員として扱ってくれた。 

ある日 "Noriko 今度 アメリカ大使館で働いている日本人夫婦二人を 我が家に ディナーパーティーに招待したいんだけど・・ 手伝ってくれる?" と言うので 私は "もちろん!" と 引き受けた。

彼女は 若いと言うのもあって 結構 ナーバスになって 日本人夫婦二組を アメリカ大使として もてなす訳だから 失態があってはならない・・ と 料理の事から 食前酒だの デザートだの 食後のお酒だの・・ 私に色々訊いて来る。

しかし 私だって 田舎の小娘で なんも知らんのだ。 と言うことで とりあえず 二人で 頭を付き合わせて 大体の計画がたった。

二人で料理をして・・ 一応 ディナーパーティーだから サーブするのは 私がして上げる事となった。

料理は もうほとんど出来上がっているし・・ 全ての食器とか 出す物も ただ運ぶまでに 準備が整って お客さんを出迎える事になった。

客が来る 寸前に 奥さんは ドレスに着替える。 彼女は 妊娠8ヶ月ぐらいだったろうか・・ デカイお腹を抱えていた。でも 彼女は 活発に動き回る 元気な妊婦だった。 

食事が始まり 全てが順調に進んでいて・・ チラチラ と奥さんは私に目配せして・・ "上手い具合に回ってるね!" と言うウインクを送って来たりしていた。

その時 一人の日本人の奥さんが フォークをテーブルから落とした。 で 私を呼んだのだ。 でもって 私に 床に転がっている フォークを 拾いなさい・・と言う。

慌てたのが 奥さん! 私は なんとも思って無かったので すぐに 拾って きれいなフォークを台所にとりに行くつもりだった。

が! 奥さんは それを制止した。 "Noriko それは拾わないで!" と私に行ったのだ。 そして あわてて 自分が 立ち上がって 自分自身がそれを拾って 私は彼女と一緒に台所に行った。

奥さんは "もうあなたは 手伝わなくてもいい。 自分のお部屋に行っていいよ。 後は全部自分でするから・・"と 彼女は言う。

私は "でも~・・" と言ったが 彼女は 強く 彼女の意思を通した。

でだ・・・ その後 彼女は デカイ腹を引っさげ・・少し 髪を振り乱し気味で せっせと ホステス役をしつつ テーブルへ 料理を運んだり 済んだお皿を下げたりと 大忙しだった。

私は 気が気ではなかった・・。

で また 事件勃発! 奥さんが 慌てて 私の所に飛んで来た。

"Noriko 彼らみんな 帰っちゃった! まだ 9時よ! デザートも出てないし・・" どうしよう! なんか 私 大失敗した様な気がする・・。

と 私に泣きつく・・。

私は "大丈夫 大丈夫 あなたは 完璧に遂行したと思うよ。 日本人は よその家に 遅くまでいるのは 失礼と言う文化があるから 夜9時以降まで 居るのは 相当失礼にあたるから 帰ったんだよ。" と慰める。

でも 私は 奥さんに フォークを拾わせ オマケに 思い腹を抱えつつ 必死に働かせてしまった 事に 物凄い 罪の意識を感じて・・ いたたまれなくなって 逃げる様に 帰ったのが 解った。

落としたフォークを サーブする人に拾わせると言うのは 私も母親から 習った覚えがある。が! そんなのをするのは イギリスのロイヤルファミリーか それ並の ハイソサエティの人たちの 食事マナーだろう・・。

アメリカ人大使の奥さんは 本当に私の事を 自分の家族としか見ていなかった。 そんな私が 召使い扱いされるのが そして 自分が 私をそう言う立場においやった事が いたたまれなかったのだろう

その彼女の事は 50年以上経った今でも 決して忘れる事は出来ない。


2025年6月26日木曜日

宿

 宿業を35年間やっていたせいで 旅の宿に宿泊すると 隅々が気になって仕方が無い。

以前 60歳代までは 元気だったので 安宿にしか泊まった事が無い。 南米の7ヶ月間は 殆ど 一泊2千円以下。 日本でも 大阪の西成区で 二千円以下でしか泊まった事はなかった。

先日日本へ行った時 そんな安いのは無くなってしまっていた。 悲しい・・。  多分インバウンドのせいだろう・・。

常に2千円以下の宿と言っても 物価の高い アメリカ ヨーロッパを避けて旅していたせいでもあろう。

いつも相部屋、二段ベッドや  カプセルホテル的な箱型の部屋がほとんど。 もちろん トイレ シャワーは 共同。 日本以外では お湯がマトモに出ない とかは 普通。

トイレの便座が無いと言うのも 南米ではよくある。 水洗でも 柄杓で水を救って 尻を洗って 流すってのもある。

シャワーノズルが トイレの真上にあって それが 尻を洗う物 兼 シャワーとして使う用に設計されている。

不潔すぎて 気持ち悪いのは 常。

トイレットペーパーがあっても 絶対にトイレの中に流してはいけない所も多々ある。 下水が発達していないため トイレットペーパーですら 詰まる危険性があるからだ。

日本で '使用済みのトイレットペーパーは便器の中へ入れて下さい"と言う 注意書きを見た事がある。 南米で 使用したトイレットペーパーを便器に流さないで すぐ横にある箱に入れる習慣がついてしまうと うかつにもそうしてしまう。

私は南米に行ったばかりで 使用済みトイレットペーパーを便器に入れてはいけないと分かっていても つい 入れてしまって 流してしまった事がよくあった。

人間の癖・習慣と言うのは 無意識にやってしまうものだと その時つくづく思った。

私のもう一つの宿の価値の判断は 枕を嗅ぐと言う習慣。 匂いで その宿の価値や 善し悪しが 正確に判断出来る。 

よって 我が家に人が泊まった後は シーツを洗うのはもちろんだが・・ 時々 枕も 丸洗いする。 洗濯機にぶちこんで 乾燥させる。 この乾燥が そう簡単では無い。 厚い枕を完全に それも早い内に 乾燥させないと またもや バクテリアが繁殖して 嫌な臭いになってしまう。

よって 天気のいい日に 数日 風通しのいい所に置いて置く。 数日で完全に乾かない場合は 乾燥機に入れて 完全に乾かす。 長期間かかって 乾燥させても やはり その間にバクテリアが繁殖してしまうので 短期での完全乾燥が必須なのだ。

あとは 宿の善し悪しは レセプションの人でも判断出来る。 人が良ければ 宿全体もいい。

先日 日本の 大型チェーンホテルに行った時は 電車の切符販売機的な機械が何台もレセプションの前 に置いてあって・・ "人間"と接する必要もないしかけ。

パスポートを突っ込むと 部屋のカードが出て来るしかけ。ま~ なんと 味気ない。 やっぱ 人が居てこそ 一日の旅の疲れを癒す場所と 思うのは 私だけだろうか・・?

先日ニュージーランドのウェリングトンに行った時 疲れてたし・・ 探すのめんどくさかったし・・ って事で あまり考えずに 1泊2万円近い宿に泊まる。

安宿しか泊まらない私にしては 満点か? と言うと なんかガッカリも沢山あった。まず 全ての設備が洗練しすぎてて 人間味が全くなくて 冷たい。

高層ビルだから もちろん窓はあかない。 外の空気を吸うところがなくて 息が詰まりそう。

セントラルヒーティング システムで 自分で 温度も 風力も なんでも調整出来るけど・・ 外の空気をちょっとでも吸いたいと思っても 階下に行って 外に出ない限り 吸えない。

安宿なら 窓が空くところがほとんど。 非常階段がある所へ行けば 大体 1階でなくても 外の空気は吸える。

5千円以上一万円以下くらいの所が 一番いいかもしれない。 窓が開く、 バスタブがある、レセプションに人がいる と言った所を選ぶ事が出来る。

人と一緒でもツインルームを選べる・・とか言う利点もある。

一万円を超えてしまうと 高層ビルになって来るのが常。 そうなると 非常時の避難経路がものすごく気になる。 非常口が見つけにくかったり 非常口に鍵がかかっていたり・・ と 高級ホテルには それなりの 的確な設備が必要になって来る。

が! それを ちゃんとしているかどうか? を 確実にチェック出来る術は あまりない。 非常階段を見つけたとしても それが 10階 20階とかになったら そこから 駆け降りなければならないし・・。

その前に 火の回り方によって 非常階段まで たどり着けるかどうか? と言う 問題もある。

よって 大きな窓があって 高くても2階建てぐらいで いくらでも すぐ土のある庭に出れる的な宿が 私にとっては 一番快適に感じられる宿になって来るのだ。


2025年6月21日土曜日

古巣

日本から線香を持ち帰った。
仏様の線香だけど 仏壇がある訳でもなく ただ 単に 線香の匂いが好きなだけ。

日本の高温多湿の状況で 線香を炊いたら いい感じ。
まるで 仏壇を拝むが如く 朝晩 線香を炊いていた。

でだ!
二ヶ月我が家を空けていて 直ぐさま 又 北島へ飛ぶ。
数日して又 留守にしていた家のドアを開けると なぁ〜んか変な匂い。
生ゴミは一切ないから その匂いでもない。 かび臭いのでもない。 しかし 決していい匂いでもない。
未だ日本から帰って来てスーツケースを開けてなかったので そこから 日本から持ち帰った
線香を引っ張り出してくる。

暖炉の焼けた残骸をふるいにかけたら ホクホクの滑らかな灰をゲット!
そこで線香を炊く。
突然の煙で 思わず深呼吸してしまった。
脳みその隅々迄 癒され ほっこりする。

線香の匂いは 私の子供に頃のお盆時に 瞬時にワープさせてくれるのだ。

なんとも ここは どこ?
と訳分からん感じだけど ほっこりする 古巣に帰った感は 十分ある。


 

2025年6月19日木曜日

ゾンビ

ニュージーランド タンゴ フェスが 帰国したら 開催されていた。
未だ ゾンビ状態で 飛行機に乗り込む。
パスポートを持たないで 空港に行くのが なぁ〜んか 不安。
離陸して直ぐ 眠りこける。
着陸のドスン!という音で 目が覚める。
宿に着いて ベッドに横になったら もうミロンガが始まってる時間に目が覚める。

こんな状態でいいのだろうか?

 

2025年6月17日火曜日

止まったら死ぬ自分

 自分自身にアカが溜まって居たのを 自宅に戻って感じる。 どこもかしこも 鬱血したかの様に 物があるのだ。 物は 全部必要なのだけれど 今 2ヶ月の旅から戻ってくると 本当に必要なのか? いや必要ではない・・。と言える。

つまり それらの"物" の存在すら 忘れているからだ。 そして それ等は 今あるものの 80%ぐらいを占める。 と言う事は この家の中の物 80%は処分しても 生活になんら支障は無いと言う事だ。

いかに 自分の生活が澱んでいたかが 分かる。

そして 一番必要な物が 無くなっていたりもする。 絶対必要だったから 使って 元に戻していないのだ。

そんな 一番必要な作業が 全然出来ず なんか 自宅を逃げる様に 旅に出てしまった感 満載。

又 澱んでしまう前に 全部片付けてしまおうと思う。

そして "片付け作業" と言うのは "自分を知る" と言う作業を経てからでないと 始まらない・・と言うことも気付く。

やはり 自分は 一つ所にいると 澱むのだと言うことを再確認。 

あんたは マグロね! 回遊してないと死ぬ・・。 まさにそうだと思う。



帰国

急に日本全国 温度が上がった。
帰国に当たって 荷造りしていると 汗がダラダラ・・・ 気持ちが悪くて シャワーを浴びたら 直後に 又ベタベタ・・。
久しぶりの 日本の夏を体感。

飛行機での移動 長いフライトは 11時間だが・・ 結局 ドアツードアとなると なんかかんかで 24時間以上を軽く越す。

年齢に勝てず 大枚を叩いて "スカイカウチ"を購入。 3席全部が 平になって シングルベッドよりちょっと小さい位のスペースになる。
最初はぐっすり眠れたのに・・ 今は ぜんぜん眠れなかった。
一晩中 寝返りばかりで・・イライラばかり。
結局 ついた時は ゾンビ状態。

自宅に戻っても 暫く 寝るような気分ではなかった。
やがて・・自分のベッドに入ったら 死んだ様に寝た。やっぱ 自分のベッドと言うのは 魔法の様に眠れる場所かもしれない。
でも 74歳となると 3時間も寝れば いい方。 
あぁ~・・ また 一晩中寝れないかも?

長期フライトは もう この歳では 無理になって来たのかもしれない・・・。

やっぱ ニュージーランドの土地を見た時は 帰って来た~・・ となんだか 嬉しい。
そして ニュージーランドが いかに自然の美しい国か・・と言うのを しみじみと思い出した。

サウザンアルプスには しっかりと雪が積もり・・ しっかりと冬になっていた。
見慣れた物をみると なんと 心が和み 安らぐ事だろう・・。



クライストチャーチの空港に着いて トイレに行く。
ん?! 
半分 女 半分男のマークがある・・。お~ 男か女か 区別しなくていい人用でもある。
中に入ってみると 男も女も自然に行き来して トイレを使用している。
赤ちゃん お母さん 車椅子の人 全員 同じ トイレ室を 使用。
もう トイレは 区別する時代は終わった!
少なくとも ニュージーランドでは 完全に終わったらしい。
私的には 最高の事だと思う。
昔から 別にしているのが 間違っていたと思うからだ。
人間はみんな同じなんだから・・。

空いてれば 車椅子のトイレだろうが・・赤ちゃんやお母さん用のトイレだろうが・・ ガンガン 人が使って行く。スムーズに人が流れていく。
場所も一つで済むし・・
なんと 今まで 無駄な事をして居たのだろう・・ と思うばかり。



 

2025年6月9日月曜日

タンゴは相手との融合

タンゴの友人。
この人に関しては あまりいい事は聞かない。 どちらかと言うと 悪い事しか聞かない。
だが 私は この人と踊った時 素晴らしい踊りをする人! と感動した。
なんか 心が ピッタリと合うのだ。全く持って違和感なく ものすごく心地よく踊れるのだ。
タンゴと言うのは 私にとっては 人との調和と捉えている。
調和が取れない相手と踊ると たとえそれが タンゴの先生で 超有名で人気のダンサーであっても 違和感があれば 全く持って踊りが楽しめない。

が! それが タンゴ初心者であっても 調和があれば 心地よい踊りになる。

踊りに酔い・・トランス状態にもなれる。

それが タンゴと言う物だろうと 理解している。

 

田舎の奇跡

日本では 今が最高の季節。
今回 初めて 大工さんも 電気屋さんも 誰もいなくて 平和で 自分の家として 使用できた。
そして 欲張って お友達も呼んで 遊んで 忙しかった~~。
74年と言う自分の人生を 最近はしみじみを 思い起こし・・ 自分の心に残った人との再会も ここ 日本でしか 果たせない・・。
よって この家は 大切な大切な場所でもある。
異口同音に この家に来た方が言ってくれるのが 
”気持ちが休まる” なのだ。

家の前の空間が 遠くまで広がっているし・・ 近所が 空いているので 解放感があるのは間違いない。

東京から来た友人は お味噌汁を美味しいと感じて飲めた事が無かったが ここでは しみじみと お味噌汁が美味しい・・。
と言ってくれた。

遠くからきてくれたのに・・
お粥、梅干し、みそ汁の朝ごはんを まるで 超豪華な食事の様に 食し・・喜んでくれた。

多分 これが 田舎の奇跡なのかもしれない・・。







 

一瞬にして二十歳の気分に戻れる再会

二十数年ぶりの友人との再会。
彼女とは 53年前に最初に会っている。
以来 連絡が途絶えた時もあったが・・なんとなく 続いている。

最初は お互いの家に泊まりに行ったり・・
夜 シーツに包んで 牧草畑に寝ころび 星を眺めたり・・。

以後 お互いの生活も忙しくなり 頻繁には 連絡せず。
が お互い結婚し・・子供をもうけ・・ その後一息ついたころ 東京の水道橋で・・ 私がふと 人の視線を感じる。
その方向を見ると 道路の向こう側で 傘をさして にっこりしている女性がいる。
しっかり 私に微笑んでいるのは解る・・。
誰なんだぁ~? と しばらく考える・・。 彼女は ニッコリしているだけで まだ 傘をさして こちらを見ているだけ・・。

そして やがて 私は その彼女であるのに気が付く。
私は ビックリして 近づいて 話をした。

それしか私の記憶にはないが・・ 彼女は その時 私を見つめる前に 私が 果物屋さんの果物を見ている後ろ姿を発見。 
で・・どうも 私に似ている・・ と言う事で 横の方に回って 私の顔を見たのだそうな・・ そして 私である事を確信・・。

その事を 約50年経った今 私は知ったのだ。

私がロンドンにいる頃も彼女から 航空便の手紙が届いていたのを覚えている。 まだまだ ネットの無かった時代でも 我々はいつも 繋がっていたのは確かだ。



今 和気の我が家に遊びにきてくれて・・ おしゃべりしても 一瞬の内にお互いが 20歳代始めの娘だった頃となんら変わりない気持ちになる。
そして 74歳になるこの歳まで 膨大な数の人間とやりあって 人との付き合い方の機微も お互いが持ち合わせているというのに・・
そんなのは一瞬の内に 取っ払われ・・子供の様に何も考えずに おしゃべりが永遠に続いた。
自分が 純粋に そして 完全なる素直な気持ちになれる相手は彼女しかいないかも? 何も考えず 自分そのままでいれる・・ 自分そのままになれる人に 又出会えたのは 奇跡的でもある。
お互い 又会えるのかな・・? と心の内では思いつつ 次 又 すぐ会おうね! と 固い約束をして別れた。


 

74歳の誕生日

サプライズで タンゴの友人が やって来てくれた。 
毎年 私の誕生日は 私が日本にいる時にあるので 日本の友人が祝ってくれるのだ。
ロジャーの誕生日も 近いので 彼女は 二人分の名前入りのケーキをもってきてくれて
頭飾りも 二人分用意してきてくれた。
なんか 子供のお誕生日会の様になって はっちゃけてしまった!
74歳だというのに・・・。

妹からは 超豪華な花束が 届いた。
いつも 豪華なお花が届くのだが・・ ニュージーランドに居たとしても 日本からお花が届くのだ・・。
毎日バタバタしていて 何も考える余地の無い日々だったので・・ 宅急便で お花が届いたのには ビックリ!
日本のお花宅急便ってすごぉ~い!
なんたって 段ボールで ちゃんと花束が立っているし・・ セロハンで 中身が見える様になってるし・・。
宅急便のおにいちゃんが 私に手渡す時に ニッコリしてくれたし!
すごく嬉しかった!

お花を見て ”あぁ~ 今日は自分の誕生日だぁ~”
としみじみと思った。

友人は自宅のアジサイの花を切ってもってきてくれた。
淡いピンクの 可愛らしい花がチラホラ咲きかけていて・・なんとも愛らしい。
そんなお花を見ながら 写真を撮ってもらった。
なんと 私も 結構愛らしいではないか!!
と みんなに言いふらしたら・・ 
みんなは ”勝手にいってろ~!” 的な顔をしていた。


誕生会は友人が計画してくれたけど・・サプライズも加わって なんとも賑やかな誕生日会になった。
何歳になっても 祝ってもらえるのは すごく嬉しい・・!

 

膨大な数の無駄

 風呂から上がったら バスタオルを持って来るのを忘れた。 が! 私は純綿のあかすりを使っている。 よって それを 固く絞って 体も 髪も拭く。 もちろん 拭いては絞るを何回か繰り返す。 すると バスタオルは不要になるくらいに なる。


ティッシュや キッチンタオルの類は つい最近まで 使った事はなかった。 有り余る布切れ 古いタオルを 洗って 干して 使いまわすと 不要なのだ。


油の古いのを 固めて捨てる・・というのを日本人から聞いて・・ ん? 何? と思った。 油を下水に流したら 詰まるのはわかる。 だが 私は 一滴の油も無駄にせず 使いきる。 だって 揚げ物をした後の油って その後 アッという間に 料理に使ってしまうので 捨てる気がしないのだ。


雑巾という物を 使わなくても 使い捨ての物の多いのに ビックリ! 日本のスーパーの掃除用具売り場に行くと まるで 違う惑星に来たかの様に膨大な数の品物がある。 何がなんだか さっぱりわからない。


結局 一つの洗剤を買って それを なんにでも使う。 もちろん 雑巾は 山ほどあるので他に買う必要は無い。 ニュージーランドでは 洗剤が 多目的洗剤というのが 安くで売っている・・ って事で それは トイレだろうが・・ 床だろうが・・ バスルームであろうが・・ それ一つで 全部の掃除ができる。 


私は 雑巾という物を 200枚ぐらい持っている。 多分 一生かかっても使いきれないかもしれない。 


食器拭き、台拭き、お手拭き、洗面所の手拭き、すべての拭きものは 古いタオルで 間に合うので 買った事は無い。 よって 膨大な種類の 代物が日本のスーパーにあるので わけわからん状態になる。


肌の保湿クリームも 日本の店に行って 何がなんだかわからなく・・えらい長い時間かかった。 結局 昔からある ニベアか ワセリンしか 理解できず・・他の膨大な数の品物は 全部無視するしか無い・・。


日本は 経済が発展したが・・ 無駄も多い様な気がしてならない・・。  


2025年6月3日火曜日

海の幸

近くの海の幸を売ってる市場へ行く。

こりゃ〜何だ?!
と じとぉ〜と見ていたら 妹が寄ってきて
"これ 美味いよ 酒のつまみ に いいよう!''
と言う。

まるで怪獣の手の様だ。でも ''亀の手'' という名が付いている。
欧米では 荒波の強い岩場でしか取れないし 危険をおかしてしか収穫出来ないので 相当高いと言うのを テレビで見たような気がする。

でもこれは そんなに 高くはない。

妹が 食べ方を教えてくれた。
ほんの少しの小さな身だけど 口に入れたトタン 何とも言えない 上質の海の香りが 口の中に広がる。
これは 思わず ニコリとしてしまう味なのだ。
酒は飲めない私でもつい 酒を飲みたくなる 酒のつまみに最高のシロモノ。

鳥取の海で採れたもの。
岡山は 日本海が 島根 鳥取にある。
そして 瀬戸内海にも面している。
海の幸が大好きな私にとっては最高のロケーションなのだ。

肉厚 鯵の刺身。
1切れを口に頬張ると 噛み下すのに ちょっと大変。
脂がのってて 美味。
大きな満足感をくれる。

岩牡蠣
デカさに釣られて ゲット!
市場で 貝を 半分程開けてくれて 家に持ち帰ってたら 自分で手で開けられるようにしてくれた。

今夜は 海の幸で 満腹になった。

 

友人の餃子

友人が 餃子作りなさいと言って 餃子の中身と餃子の皮を添えて くれた。

和歌山から来た 妹と せっせと 包んだら こんなに沢山出来た!

味 超美味!
友人特別レシピ レンコン入り
それが又 歯ごたえ シャリシャリが 抜群の美味さ!
1人で何個も行ける。
延々と食い続ける。